2013/06/25

Asanteni

ケニアを立つ今日。

たくさんの別れがあったけれど、口から出て来るのは、Kwaheri(さよなら)よりも、Asante(ありがとう)の言葉。

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プレゼントしてもらったドレスを着て、子ども達との一枚。

同僚が撮った写真はどれも最後までブレブレ、またはフレームアウトで、これが一番まともだった。

そんなところも、今ではここの良い所。

 

たくさんの出会いに感謝。

Asanteni sana

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2013/05/15

メイズと寮母エルピーナ

こちらのとうもろこしは白い。

それはメイズと呼ばれる。

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乾燥したメイズのつぶつぶ。

これを挽いたら、ウガリの粉になる。

これを豆などと一緒に煮たら、ギゼリ呼ばれる代表的な豆料理となる。

ケニア料理の主役、日本人にとっての米のような存在。

最初は味が無いなぁと感じ、あまり好まなかったけれど、今ではその淡白かつ控えめな甘みが大好きになった。

 

豆やとうもろこしの選別作業は、昼休みや放課後に子ども達が行う。

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女の子はうわさ話をしながら。

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男の子はもくもくと。

 

「これももう最後かな。」

こういったこちらの生活ではあたりまえのことをしている時ほど、最近よく思う。

 

 

そして学校の方は、これまでで一番の人不足。

先生のいないクラスがあるのは残念ながら慣れた事だけども、何より大変なのは寮の子ども達の生活を支える職員が一人しかいないこと。

料理・掃除・洗濯に加え、24時間身辺自立のできていない子ども達の世話をするのは、とっても大変。

ここのところ私も出来る限りの時間を学校で過ごして手伝いをしている。

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残されたたった一人の寮母、エルピーナ。

彼女は私が人生でこれまで出会った人の中で一番強烈なキャラクター。

ただ「すごい」としか形容できない。

 

怒ると巨大な木べらを振りまわして追いかけるので、子ども達から誰よりも恐れられている。

でも本当は子ども達のことをとても愛していて、可愛がりすぎて時々噛み付いたりしている。

 

そんな寮母エルピーナの体をクッション代わりに寄りかかって休憩するというのが、私のお気に入りの昼休みの過ごし方なのだが、それができるのもあと少し。

これまでたくさん寄りかからせてもらったので、お手伝いという形で最後まで頑張って恩返ししようと思う。

2013/05/10

ナーサンの母との出会い

先日学校の掃除をしていた時、4歳の男の子とその母親が学校を訪ねて来た。

男の子はナーサンという名前の、小さな体つきの子で、知的・聴覚・言語・身体障害がある。

母親は我が子の成長のためにどんな環境や教育がいいのだろうかと悩み、様々な学校や施設を回っているところだった。

 

校長先生が学校を離れていたのでその帰りを待つ間、ナーサンを間に挟んで母親と話をしていた。

子どもの障害に対する葛藤、ここまでの成長への苦労と喜び、これからへの不安。

母親が私に語るのをナーサンがじっと見つめていたので、「今私たちがナーサンの話をしてるって分かってるね。」と私が笑うと、

「そうなの!この子はこう見えて色んな事を分かっているのよ。」と母親の目がなんとも愛しそうにほころんだ。

 

日本以上に子育てが母親の仕事と社会的に位置づけられているケニア。

それに加えて、障害のある子どもの出生に対して、“母親の責任” “母親の行いが悪かったから”“呪われた”という誤った偏見も強い。

それに父親がいないケースもあまりに多い。

それでも我が子と前を向いて生きる母親、子どもの成長を願って一生懸命な母親、逆境も笑い飛ばせる母親が、ここケニアにも日本と同じ様にたくさんいる。

尊敬せずにはいられない。

 

私自身、ケニアの特別支援教育について、ケニアにおける障害者への福祉や医療について知らないこともまだまだ多い。

ナーサンの母親が訪れたという他の特別支援学校の中に初めて聞いた名前があったので、昨日見学に行ってみた。

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学校とリハビリ施設が同じ建物内にあり、規模こそ小さいがケニアの中ではとても進んだ教育と療育を実践していた。

クラスは課題別の少人数グループに分けられていて、全ての教室にちゃんと先生がいる・・・だけでなく副担任までいてチームで指導にあたっている。

授業時間には子ども達がみんな何かに取り組んでいる。

セラピールームでは、理学療法士や作業療法士や言語療法士が子ども達のリハビリにあたっている。

正直、こんな所がケニアにあったのか!と驚いた。

 

けれど「びっくりするほど学費が高くて・・・」とのナーサン母の言葉通り、午前中のみの通学で学費が年間10万kshを越えていた。

これはケニアの一人当たりの年間GDPを遥かに上回る額で、私の同僚二人分の年収で、ケニア人のお茶のおともであるマンダジという揚げパンが1万個も買えてしまうくらいの大きなお金である。

ここにもまた、この国の抱える尋常ではなく深い社会のギャップがあった。

この教育を受けれる子ども達は、この国でほんとうのほんとうに一握り。

必要としている人のほとんどには届かない。

 

日本への帰国を前にした私は、ナーサンと母親がこれからどんな道を行くのかこの先知る術もないけれど、いつまでも二人の中にあの愛情に溢れる空気が流れ続けてほしい。