Archive for 11月, 2011

2011/11/29

学期おわり

先週のこと。

突然校長先生が「ポエムを読みに行くから、練習するわよー」と言い出した。

一体どんな集会でポエムを読むのかよく分からないまま、子ども達は練習を重ねて来ていた。

そして本番の昨日、担任してる生徒達の外出の準備に朝からいそいそ動いていた。

でも出発5分前に「この子達は連れて行かないわよ!邪魔するから。それにポエム読めないし。」

と言われ、抵抗空しく、担任してる子どもたちを一人を除き泣く泣く置いていき、外出。

 

行ってみると、障害のある子どもを持つ親や、自身が障害者の方が意見を述べたり、交流を深めるための会で、なかなか規模の大きなものだった。

到着後すぐに出番が来て、子ども達ポエムを読む。

タイトルは「Ulemavu si Ugonjua」(障害は病気ではない)

とっても堂々としている朗読、見ていて誇らしかった。

会には車いすの人も多く参加していた。こっちは道が平坦でないため、自走の車いすはほとんど3輪の手漕ぎのものが多い。

母親と一緒にドレスを着て会に参加していたクラスの生徒Fatuma。私を見つけてとことこ歩いて来てくれた。

 

ポエムの発表後も、コントや歌などなど・・・なかなかおもしろい出し物が続き、和やかに会も本編終了。

そこから客人である障害者支援に関わる仕事に携わる人たちの紹介が始まった。

 

一般的に、ケニア人は話し好きな人が多い。

ここでもそんな特徴が多いに現れ、みなさん喋るしゃべるシャベル・・・

次ぎから次へとよく喋り、かかった時間約3時間。

これまで聞いたどんなに長い校長先生やおじいちゃんの話よりも長かった。

一体会を閉めるのにどれだけ時間掛かってるんだと。

昼過ぎに終わる予定が、終わったのは4時。

みんな帰らずに良く待つなと思っていたら、終わった所で遅〜い昼食が配られた。

 

ただ集会を開いてもなかなか人が集まらなくても、“食事が出るよ〜”というとグンと参加人数が上がるのだそう。

結局昼食を食べ終わったのが5時、そこから更にケニアらしいハプニングに次々に見舞われ、学校に帰ったのが8時だった。

 

ここではこうして、

3時間の外出の予定が、10時間になる。

夜遅くなりすぎて家に帰れない子どもが出て来て、急遽学校に泊まらせる。

それを親に連絡する術が無く、「あちゃ〜。でもまあ、無事だからいいでしょ。」となる。

どこまでポレポレしているんだろう。

昨日はさすがにいろいろ気をもんだ私。

ケニアの洗礼を未だこうして受け、疲れ果てた所でちょうどよく、今日こちらの3学期が無事に終わった。

2011/11/26

評価

ケニアの学校は1月から新しい学年がスタートする。

今月末で第3タームが終わるので、つまり今は1年間の学校生活の締めの時期。

今週に入って、テストをしなきゃと、焦りだしてた同僚達。

前日に問題を作り、当日に近くのコピー屋に走り、それでも数が全然合ってなくてテストにありつけない生徒がでるお粗末ぶり。

そして今日は、今日中に学期末の評価のレポートを書かなきゃと、焦りだした同僚達。

すべて前もって分かっている事のはずなのに、ほんとにお尻に火がつくまで何もしない。

そんな彼らを眺め、異文化だなあとしみじみ思う。

でも子ども達の学習の成果を評価するという概念があったのかと興味深く、嬉しかった。

 

学校のSpecial Unitの評価のレポート様式は、2種類。

読み書きの学習が出来る発達段階の生徒は、Literacy/Numeracy/Activity of daily living/Communication(読み書き/算数/日常生活動作/コミュニケーション) の4項目。

もう少し手前の発達段階にある生徒は、Activity of daily living/Communication/Perception/Creative art(日常生活動作/コミュニケーション/認知/創造性)の4項目で評価されるようになっている。

そしてそれぞれの項目ごとに、Individual target(個別目標)とProgress(進歩・成長)を記載できる枠がある。

 

「たえこが一番字がきれいなんだから、評価書いて!みんなで考えて書くこと言うから。」

と言われ、赤と青のペンを用意して、どんな風に評価していくのか、恐れながらもちょっと期待した。

今回の評価はあまり口を出さず、子ども達の事を私より良く知っている同僚達に任せようと心に決めた。

でも、実際はひどいものだった。

 

何がどこでそうなったのか、個別目標の欄に子どもの学期を終えた今の実態を書き、進歩を記載する欄には、ただGoodやFailと、でかでかと書くと言う。

そうなると、目標の欄に例えば「他者とコミュニケーションがうまくとれず、すぐ友だちと喧嘩しちゃう」のような文章が書かれ、その横の進歩の欄にどーんとFailと記される。

腑に落ちずいろいろ質問しても、これまでそうやってきてるんだから、それが正しいんだと言い張る同僚達。

最初は黙っていたけど、やっぱり自分の生徒をちゃんと評価してあげられないことに、もやもやする。

そして「targetだよ?objectiveだよ?porposeだよ?どんな力をつけて欲しいかをここに書いて、どこまで達成出来てるかをここに書くんだよ。」と知ってる単語を全て羅列して説明を試みる。

沢山例もあげてみる。

何か言うと同僚達は分かった分かったと言うが、全く意図が伝わらない。

私の語学力が足りない事もあり、私にも向こうにも、ストレスとなるやりとり。

期日も今日中というのが追い打ち。

「ただ私が言ったことをただ書いてればいいのよ!」とも言われたり。

「だったら自分で書いて。納得できないこと書けません。」と反抗してみたり。

 

家に帰って考えた。

きっとあの評価のフォームもどこかの国のボランティアが持ち込んだ輸入ものだろう。

ケニアの人たちが自分達の教育に合うものを試行錯誤して作ったものじゃない。

そして私の今日の主張も輸入もの。

ただ渡しても押し付けても意味が無い。

一緒に試行錯誤していかないと根付かない。

(ぜんっぜん苦しそうには見えないけど)実際苦しいところにいるのは彼らなのだろう。

 

でもここでは、その評価の紙切れ1枚が、学校の様子を親が知る唯一のツールであるケースも多い。

何より子ども達の頑張りや成長を記してあげたいと、そして今後に繋げたいと、どうしても思ってしまう。

日本にいた時は、評価の意味や重要さを、こんなに考えたことってなかったな。

結局今日も何かに気づかされたのは、私の方だというお話。

2011/11/10

暴力の連鎖

9月から学校で子ども達と接し始めてから、ずっと直面してきたこと。

ここでは、教師が正しい教育の方法であると信じてあたりまえに体罰を行う。

平手打ちや拳骨はいい方で、木の棒を使って、子ども達の体をきつく叩く。

私がどんなに必死に注意しても、へらっと笑ってふざけている子も、他の先生が木の棒を手にしたとたん、顔色を変えて行儀よく振る舞う。

「生徒から尊敬されたいなら、妙子もこの方法を使わなきゃ。」

と言われたこともあった。

「障害のある子ども達は、口で言っても理解できないのよ。この子達はこうして賢くなるの。」

と口を揃えて言う教師達。

間違っていると思うとはこれまで言わなかったけど、私はその方法は使いたくないということは折々で伝えていた。

子ども達へ愛情があるのは同じ。

でも体罰という手段を使う彼らのやり方に、疲れたり目を背けたりしてきたのも事実。

でもこれが“今の“ここの現状であることを受け入れ、私が違う方法で子どもたちとの関係を築き、それを示すしかないと思ってきた。

 

でも何より一番受け入れ難いのが、子どもたち同士の暴力。

まるでコミュニケーションかのように、殴り合いをする。

そして殴っても殴られてもケロッとしていることも多い。

先生の真似をし、自分より理解のゆっくりな友だちを、木の棒を使って殴り従わせる。

「やられたらやりかえしなさい。」

と教師は教え、暴力を振るわれて泣きついて来た子どもに、監督下で殴り返させる。

喧嘩の原因を話し合ったり、友だちの痛みを考えさせたりすることはない。

 

先週から新たにクラスに加わった生徒Benは、愛嬌のある少年だが、嬉しい時も気分の悪い時も人に手が出てしまう。

体格も大きく、人を追いかけるのが好きで、よだれが常に垂れているBen。

その風貌や特徴から、他の生徒の的になってしまっていた。

Benも力が強いので、やられたら怒ってさらにやりかえす。

Benにすぐ手がでる癖を止めさせたくても、止めさせるための指導に教師が体罰を使う。

終わりの無い暴力のやり取りに直面し、疲れ、気をつけなきゃと思っていた矢先に、今日事故が起きた。

BenとSammyという生徒のやりあいの末に、Sammyが投げた木のブロックが、近くにいた別の生徒のこめかみに当たり、出血する怪我をした。

いつ起きてもおかしくない事故だった。

私にしたら、その状況も事故も全面的に教師に責任があると感じた。

でも他の先生達は、ブロックを投げたSammyを全面的に非難し、こてんぱんにこらしめて終わらせてしまった。

Benもちょっとお仕置きをくらった。

友だちを傷つけたSammyに殴り掛かった数人の生徒は、何ひとつ非難されなかった。

 

Sammyが悪いのか。Sammyを挑発したBenが悪いのか。

そんな簡単な話じゃなくて、ずっとずっと続いて来ている数々の暴力が引き起こした、ひとつの事故だった。

そのとばっちりを、大口開けて笑う友だちに優しいGraceが受けた。