評価

ケニアの学校は1月から新しい学年がスタートする。

今月末で第3タームが終わるので、つまり今は1年間の学校生活の締めの時期。

今週に入って、テストをしなきゃと、焦りだしてた同僚達。

前日に問題を作り、当日に近くのコピー屋に走り、それでも数が全然合ってなくてテストにありつけない生徒がでるお粗末ぶり。

そして今日は、今日中に学期末の評価のレポートを書かなきゃと、焦りだした同僚達。

すべて前もって分かっている事のはずなのに、ほんとにお尻に火がつくまで何もしない。

そんな彼らを眺め、異文化だなあとしみじみ思う。

でも子ども達の学習の成果を評価するという概念があったのかと興味深く、嬉しかった。

 

学校のSpecial Unitの評価のレポート様式は、2種類。

読み書きの学習が出来る発達段階の生徒は、Literacy/Numeracy/Activity of daily living/Communication(読み書き/算数/日常生活動作/コミュニケーション) の4項目。

もう少し手前の発達段階にある生徒は、Activity of daily living/Communication/Perception/Creative art(日常生活動作/コミュニケーション/認知/創造性)の4項目で評価されるようになっている。

そしてそれぞれの項目ごとに、Individual target(個別目標)とProgress(進歩・成長)を記載できる枠がある。

 

「たえこが一番字がきれいなんだから、評価書いて!みんなで考えて書くこと言うから。」

と言われ、赤と青のペンを用意して、どんな風に評価していくのか、恐れながらもちょっと期待した。

今回の評価はあまり口を出さず、子ども達の事を私より良く知っている同僚達に任せようと心に決めた。

でも、実際はひどいものだった。

 

何がどこでそうなったのか、個別目標の欄に子どもの学期を終えた今の実態を書き、進歩を記載する欄には、ただGoodやFailと、でかでかと書くと言う。

そうなると、目標の欄に例えば「他者とコミュニケーションがうまくとれず、すぐ友だちと喧嘩しちゃう」のような文章が書かれ、その横の進歩の欄にどーんとFailと記される。

腑に落ちずいろいろ質問しても、これまでそうやってきてるんだから、それが正しいんだと言い張る同僚達。

最初は黙っていたけど、やっぱり自分の生徒をちゃんと評価してあげられないことに、もやもやする。

そして「targetだよ?objectiveだよ?porposeだよ?どんな力をつけて欲しいかをここに書いて、どこまで達成出来てるかをここに書くんだよ。」と知ってる単語を全て羅列して説明を試みる。

沢山例もあげてみる。

何か言うと同僚達は分かった分かったと言うが、全く意図が伝わらない。

私の語学力が足りない事もあり、私にも向こうにも、ストレスとなるやりとり。

期日も今日中というのが追い打ち。

「ただ私が言ったことをただ書いてればいいのよ!」とも言われたり。

「だったら自分で書いて。納得できないこと書けません。」と反抗してみたり。

 

家に帰って考えた。

きっとあの評価のフォームもどこかの国のボランティアが持ち込んだ輸入ものだろう。

ケニアの人たちが自分達の教育に合うものを試行錯誤して作ったものじゃない。

そして私の今日の主張も輸入もの。

ただ渡しても押し付けても意味が無い。

一緒に試行錯誤していかないと根付かない。

(ぜんっぜん苦しそうには見えないけど)実際苦しいところにいるのは彼らなのだろう。

 

でもここでは、その評価の紙切れ1枚が、学校の様子を親が知る唯一のツールであるケースも多い。

何より子ども達の頑張りや成長を記してあげたいと、そして今後に繋げたいと、どうしても思ってしまう。

日本にいた時は、評価の意味や重要さを、こんなに考えたことってなかったな。

結局今日も何かに気づかされたのは、私の方だというお話。

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