Archive for 7月, 2012

2012/07/26

事件です

いつも次から次へと揉め事や問題が発生する職場。

今日は “一袋のウガリ事件” が起きた。

 

事の発端は、学校を留守にしていた校長先生が、とある先生にこう頼んだ事から。

「アンティ(寮母さんのことをこう呼んでいる)が、私がいない隙に昼食用のウガリの袋を多く盗らないか見といて。」

 

食料は校長室で管理されていて、基本は校長先生の監視下のもとアンティが必要な分だけ毎日持って行き、子ども達の食事を用意する。

だが今日は校長先生が不在のため、鍵を渡されたアンティが一人で行う。

今日のお昼の主食はトウモロコシの粉を水で練ったウガリ(コースト地方ではそれをシマと呼ぶ)。

ウガリの時は、いつも2袋(一袋2kg)で賄っている。

 

校長先生からアンティの監視を頼まれた先生は、アンティがウガリを3袋持ち出したのを見たという。

そして校長先生にその事を電話で告げた。

校長先生は直ぐにアンティに電話してこう言ったそうだ。

「あなたが今日3袋持ち出したこと、知っているのよ。一袋家に持って帰ったら承知しないわよ。」

 

電話を受けたアンティは大激怒。

二袋しか持ち出してないわい!と憤慨し、密告したのはあいつに違いない殴ってやると大騒ぎ。

次々と関係のない先生達が首をつっこんでは、話が膨れ上がっていく。

冷静に話をまとめられる大人はおらず、大きな声で主張し合う。

それをぽかんと見つめる子ども達。

 

そんな中、校長先生に頼まれたがゆえにアンティの怒りを買った先生は、昼休みにこつ然と姿を消した。

そしてアンティは、こんな職場もう辞めてやると言い、荷物をまとめて出て行った。

(ちなみにこのアンティ、今日の寮の夜勤の担当。)

 

真実がどうであれ、なんともうちの学校らしい事件だなぁ・・・と興味深かった。

校長先生のやり方や、一袋のウガリが原因ということ(いつも食べ物に関して揉めている)、その騒ぎっぷり。

怒って家出ならぬ職場出をする人をこれまで何度も見たが、こういう形で出て行く人は後でケロッと戻ってくるので、もうあまり心配しなくなった。

大変なのは残された子ども達と職員で、そっちが心配である。

 

 

 

ちなみに話は変わり、ウガリは魚とよく合う。

ほかほかウガリ、いつだったか小魚と一緒に食べて、美味しかったな。

こんな揚げ魚とは抜群の相性。

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2012/07/25

子どもはみんなアーティスト

ぼちぼちとターム2が終わりに近づいているという事で、最近は学校にておさらいテストのようなものを実施している。

絵を描く事が出来るクラスの数人の生徒には、“ネコの絵を描いて色を塗る”という課題を出した。

 

まず、“cat” とは何かという復習からテスト開始。

元気生徒のカマウは、自信満々に “クロコダイル” だと答える。

メリーは、私の顔色を伺いながら控えめに “ドッグ” だと答える。

うちのクラスのエリート達よ、この数ヶ月何を学んだんだー!と心の中で泣きながら、いつものごとく迫真の演技でものまねし、ああ “cat” は “Paka”(スワヒリ語でネコ)ね!とその場を落ち着かせる。

そして皆で鉛筆を手に取ると、それぞれが思い思いにテスト用紙の上にcatを生み出していく。

 

生みの親はカマウ。

誰よりも見本の絵をよく見ながら書いていた、真っ赤なお顔のデーモンcat。

生みの親はトワリック。

右腕のすさまじい筋肉は親譲り、いつも石を両手に筋トレしている彼の分身のようなcat。

生みの親はメリー。

明るく鮮やかな色使いなのに、こんなに気の抜けたcat。

 

担任の欲目かな・・・。

みんな才能があふれているのだけれども!

このキャラが際立つ3匹のcatsを主役に、アニメ化できないかな。

今夜は時間がゆっくり流れ、妄想が進む。

2012/07/25

ラマダン

先週末からイスラム暦の9月にあたるラマダンに入り、同時にイスラム教徒の一ヶ月間の断食が始まっている。

断食と言っても、太陽の出ている時間帯は食べないというもので、早朝、そして日没後はしっかり食いだめするのだとか。

断食する事を、スワヒリ語ではフンガ(閉める)と言う。

断食と聞くとなんとも苦しいイメージだが、ムスリムの人たちにとっては待ちに待った一ヶ月といった印象。

学校にもムスリムの子ども達が多く通っているが、口を揃えてラマダンが好きだと言っている。

いつもと違う生活スタイル、食事も少し特別、夜に集まってわいわい楽しむのは、子ども達にとったら魅力だろう。

でも日中は水すら口にしてはいけないというのだから、私は一日たりとも閉められそうにない。

 

近くのモスクからは、いつもは一日に5回、決まった時間にお祈りの放送が大音量で聞こえて来るのだけれど、ラマダンの時期は夜の放送がいつもと違ってユニークな上やたら長い。

8時から9時くらいまで一時間くらい、賑やかな放送が聞こえる。

去年ラマダンの時期にモンバサに来た時には、なんてうるさいんだ・・・としか感じなかったのに、今はこの音も生活の一部。

慣れだけでなく、この音の元にどんな人たちが集っているか想像がつくというだけで、こんなにも捉え方は変わるのか。

 

 

そういえば、近所の商店を営むムスリムの夫婦がいる。

ほぼ毎日顔を合わせるのだけど、最近、おっちゃんの方から、日本語の名前をくれと言われた。

 

おっちゃん 「いい名前をつけてくれ。」

わたし   「じゃあ、太郎で。」

おっちゃん 「タロウ・・・タロータロー・・・。」(店の壁に書いてる。)

「ありがとう。じゃあたえこにもアラビア語の名前をあげよう。」

わたし   「いい名前をつけてね。」

おっちゃん 「じゃあ、ザハラで。花という意味だよ。」

わたし   「いいねー!ありがとう。」

おっちゃん 「ところで、タロウの意味は?」

わたし   「・・・大きい男の子」

 

安易に名付けすぎた。

ちなみにおばちゃんの方は花子にした。

太郎と花子。

おっちゃんの名前、大助の方がよかったかなとか未だに考えてる。