Archive for ‘Special education – Kenya’

2013/05/10

ナーサンの母との出会い

先日学校の掃除をしていた時、4歳の男の子とその母親が学校を訪ねて来た。

男の子はナーサンという名前の、小さな体つきの子で、知的・聴覚・言語・身体障害がある。

母親は我が子の成長のためにどんな環境や教育がいいのだろうかと悩み、様々な学校や施設を回っているところだった。

 

校長先生が学校を離れていたのでその帰りを待つ間、ナーサンを間に挟んで母親と話をしていた。

子どもの障害に対する葛藤、ここまでの成長への苦労と喜び、これからへの不安。

母親が私に語るのをナーサンがじっと見つめていたので、「今私たちがナーサンの話をしてるって分かってるね。」と私が笑うと、

「そうなの!この子はこう見えて色んな事を分かっているのよ。」と母親の目がなんとも愛しそうにほころんだ。

 

日本以上に子育てが母親の仕事と社会的に位置づけられているケニア。

それに加えて、障害のある子どもの出生に対して、“母親の責任” “母親の行いが悪かったから”“呪われた”という誤った偏見も強い。

それに父親がいないケースもあまりに多い。

それでも我が子と前を向いて生きる母親、子どもの成長を願って一生懸命な母親、逆境も笑い飛ばせる母親が、ここケニアにも日本と同じ様にたくさんいる。

尊敬せずにはいられない。

 

私自身、ケニアの特別支援教育について、ケニアにおける障害者への福祉や医療について知らないこともまだまだ多い。

ナーサンの母親が訪れたという他の特別支援学校の中に初めて聞いた名前があったので、昨日見学に行ってみた。

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学校とリハビリ施設が同じ建物内にあり、規模こそ小さいがケニアの中ではとても進んだ教育と療育を実践していた。

クラスは課題別の少人数グループに分けられていて、全ての教室にちゃんと先生がいる・・・だけでなく副担任までいてチームで指導にあたっている。

授業時間には子ども達がみんな何かに取り組んでいる。

セラピールームでは、理学療法士や作業療法士や言語療法士が子ども達のリハビリにあたっている。

正直、こんな所がケニアにあったのか!と驚いた。

 

けれど「びっくりするほど学費が高くて・・・」とのナーサン母の言葉通り、午前中のみの通学で学費が年間10万kshを越えていた。

これはケニアの一人当たりの年間GDPを遥かに上回る額で、私の同僚二人分の年収で、ケニア人のお茶のおともであるマンダジという揚げパンが1万個も買えてしまうくらいの大きなお金である。

ここにもまた、この国の抱える尋常ではなく深い社会のギャップがあった。

この教育を受けれる子ども達は、この国でほんとうのほんとうに一握り。

必要としている人のほとんどには届かない。

 

日本への帰国を前にした私は、ナーサンと母親がこれからどんな道を行くのかこの先知る術もないけれど、いつまでも二人の中にあの愛情に溢れる空気が流れ続けてほしい。

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2013/03/28

なんでもマラリア

ここのところ本当にケニア慣れしてしまい・・・日本で社会復帰できるかなと不安がよぎる。

学校で日々起こるケニア的諸問題にも、一年半前は驚いていたのに今ではあたりまえに対応している。

 

今週、私のクラスの生徒が体調不良で倒れた。

孤児の子なので、学校の判断と対応が彼女に全てふりかかる。

 

学校の判断:「ま、マラリアでしょ。」

学校の対応:「マラリアの薬を2錠か3錠くらい飲ませてみよ。」

 

でた!いつもの “なんでもマラリア”。

みんな体調を崩したらいつもマラリアだと言う。

ローカルの病院では診断もマラリア率が極端に高い。

 

熱も低いしマラリアじゃないという確信もあり、いつも以上に病院に連れて行こうとしつこく食い下がった。

間違った薬を飲む事がどれだけ危険かと、説く。

大げさに、おどろおどろしく説く。

でも残念だが、力及ばず説き伏せれず、学校としては病院に連れて行くという判断に至らなかった。

でも同僚がお金を出し合って医療費を捻出し、病院へ連れて行こうと動いてくれた。

 

結果、マラリア検査はやっぱり陰性。

血液検査の結果、血が体を正常に巡っていない事が分かり、ドクターも「これは失神したらそのまま死ぬレベルだぞ!」と言う程危ないところだったようだ。(頻度は低いがてんかん発作もちの子どもなので、ひやりもひやり。)

きちんと症状に合った薬を処方され、今は病状は快方に向かっている。

今回の出来事で、学校側に少しでも “なんでもマラリア” の軽率さと命を預かる責任の重さを感じてほしい。

 

 

話は変われど、明日からイースターホリデーで4連休。

日本と比べて祝日が少ないケニア。

普段からみんなのんびり働いているけれど、それでも連休は嬉しいようで浮かれ気味。

Wたえこも浮かれ気味〜〜〜。

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Have a happy Easter !!

 

 

2013/03/20

目を背けてはいけないこと

1月、多くの生徒が学費のスポンサーであるNGOの判断によって、公立の特別支援学校へ転校した。

彼らは家族やコミュニティーを離れて、隣町の学校の寮で暮らしはじめた。

 

最近になり、近所に住んでいる保護者達より、子ども達が適切にケアされていないと悩む声が聞こえてきた。

担任していたJumaaという子の親は、もう学校に戻さないつもりでJumaaを連れて帰ってきたらしい。

気になったし、家もわりかし近いので、ひょこっと家庭訪問をしてみた。

Jumaaによく似たおばあちゃんが庭先で大量の魚を揚げていたので、匂いにつられてすぐ場所が分かった。

おばあちゃんは嬉しそうに出迎えてくれ、Jumaaとお母さんを呼んだ。

まんまる太っちょだったJumaaはずいぶんスリムになっていたが、嬉しそうに笑って寄ってきた。

お母さんは学校の話と連れ帰ってきた経緯を、目に涙をいっぱいにためて話してくれた。

「学校で我が子を死なせるくらいなら、側においておく。」

そう言って、腹をくくったような険しい顔をした。

 

そして今日は校長先生と一緒に、施設見学と職業訓練の見学もかねて子ども達の転校先である学校を訪問した。

369人の障害のある子ども達が在籍しているマンモス校だが、十分に広い学校の敷地、羨ましいスペースの教室と学校寮。

だが圧倒的に子ども達の日常生活の世話をするワーカーや教員の数が不足していた。

寮に漂う便の臭いに、子ども達にたかる蝿の数に、車いすから落ちて泣き叫んでいるのに気付いてもらえない子どもを前に、息を飲んだ。

 

学校の敷地内をうろついていると、どこからか私の名前を猛烈に繰り返し叫ぶ声がした。

私を呼んでいたのは担任していたKamauだった。

嬉しくてKamauのもとに行ったが、話しかけても目をそらしなぜか最後まで無視された。

さみし・・・。

でもkamauなりのメッセージなのかもしれない。

 

寮ではFaithとの再会があった。

とっても痩せてしまったFaith、車いすやベッドから落ちたのだろうと思われる傷が体にいっぱいあった。

表情はとても乏しく険しく、姿勢を変えてもらっていないのだろう、体はがちがちに固まっていた。

Faithの好きだった曲をいくつか歌って、やっと小さな笑顔が見れた。

変わり果てたFaithを目の前に、どこにぶつけたらいいのか分からない悔しさを感じた。

 

ケニアでは、学校にも行けない家からも出られない障害のある子ども達が、まだまだたくさんいる。

そんな背景があるから、「障害があるのに学校に行けるだけ幸せだ。」と言う人もいる。

でも彼らの目の輝きを知っている私からすると、そんな幸せを彼らに勝手に押し付けてほしくない。

 

目を背けてはいけない現実がまたひとつ。

明日はこの問題に関して、保護者とNGOによる話し合いが行われるそうだ。